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Inspiration

 

 

“you have to believe that dance is something other than technique. We forget where the movements come from. They are born from life. When you create a new work, the point of departure must be contemporary life — not existing forms of dance.”
― Pina Bausch

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The Hundred Languages of Childhood

The child
is made of one hundred.
The child has
A hundred languages
A hundred hands
A hundred thoughts
A hundred ways of thinking
Of playing, of speaking.
A hundred always a hundred
Ways of listening of marveling of loving
A hundred joys
For singing and understanding
A hundred worlds
To discover
A hundred worlds
To invent
A hundred worlds
To dream
The child has
A hundred languages
(and a hundred hundred hundred more)
But they steal ninety-nine.
The school and the culture
Separate the head from the body.
They tell the child;
To think without hands
To do without head
To listen and not to speak
To understand without joy
To love and to marvel
Only at Easter and Christmas
They tell the child:
To discover the world already there
And of the hundred
They steal ninety-nine.
They tell the child:
That work and play
Reality and fantasy
Science and imagination
Sky and earth
Reason and dream
Are things
That do not belong together
And thus they tell the child
That the hundred is not there
The child says: NO WAY the hundred is there–

Loris Malaguzzi
Founder of the Reggio Approach

 

敬愛する、舞踊家のピナ・バウシュ、デザイナーのムナーリなどのインスパイアされる言葉をシェアします。

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「ダンスは、テクニック以上のものだと信じなさい。
その動きはどこからくるのか。それは日常のライフからうまれる。
新しい作品をつくるとき、出発点は、人生そのものからでなければ。。。既存のかたちからではなく。。。」

ーピナ・バウシュ

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パブロ=カザルス(1876-1973)の言葉

「一秒一秒、私たちは宇宙のあらたな二度と訪れない瞬間に、
過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。
それなのに学校で児童になにを教えているのか。
二プラス二は四とか、パリはフランスの首都であるといったことは教える。
いつになったら、子供たちの何たるかを教えるのだろう。
子供たち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。
過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
ほら君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。
足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。
そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。
君たちは互いに大切にしあいなさい。
君たち—われわれも皆—この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。
私は今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。
科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩をとげた。
それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。
われわれの行動は依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。
私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。
いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。
祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に。」(P267)

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幼年期には、四方八方から押さえつけられたり、自分のものではない枠に押し込められたり、なにかのモデルをマネするように仕向けられるべきではない。創造力から生まれ出るあらゆる行動の可能性を消し去るやり方で、もっとも広まっているものに、この年代の子供に対し、例えば全員が同じテーマ、全員が同じ道具、サインペンかテンペラ絵具で絵を描かせるというのがある。おそらく他の国の幼稚園や小学校でも、視覚芸術で自己表現する際の手段としては、絵画か彫刻しか考えないのではないだろうか。だから子供に絵具とテンペラ絵具、あるいは立体の作業には粘土やその他造形材料を与える。そして、大体の場合、技術的な説明は一切せずに、子ども達の好きなようにやらせ、助け舟も出さず放ったらかしに、子ども達だけでやらせておく。多くの先生や保育士は次のように言う。「私たちは子ども達を完全に自由にさせて、彼らのやりたいことをやらせています。絵の具や粘土を与えれば、子ども達は自由に表現するのです。」しかしながら、創造力を刺激する遊びを通じて子どもの知識が広げられないと、既に知っている事柄同士の関係を築くことはできない。仮に関係を築くことができたとしても、それは非常に限定された方法でなされたにすぎず、それでは子どものファンタジアを発達させるには至らない。多くの国の多くの子どもが同じような絵を描く。世界中どこの国の子供も、草むらや家、山や木、太陽など、見ているもの、知っているもの、認識しているものを描く。家や木の形に変化はあるかもしれないが、主題は大概こういったものである。もし成長する際に手助けされないとすると、大人になっても趣味の時間に同じものを同じ方法で描くことになってしまう。

つまり、創造力は刺激されねばならないのである。さて一体どのように?それには遊びを発明する必要がある。その遊びのなかで常に新しいことを学び、新しい技術を習得し、視覚言語の規則を理解することが重要なのだ。どんなデザインにもメッセージがある。もしデザインが視覚言語の規則にのっとって創られないならば、そのメッセージは受け取られない。そうなるとヴィジュアル・コミュニケーションどころかコミュニケーションもないことになる。

ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』

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「でも、百はある。」ローリス=マラグッツィ

子どもには 百とおりある。
子どもには
百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり
理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界
発明するのに 百の世界
夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある
…それからもっともっともっと…

けれど九十九は奪われる
学校や文化が
頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならないものだと

つまり百なんかないと言う

子どもはいう
でも 百はある

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http://vimeo.com/44906878

現代白磁の第一人者、イ・キジョ氏のインタビューの中で。

Q:「自然に囲まれた素敵な環境で、作物を育て、ご自身で料理をしながら自給自足の生活をされているとの事ですが、それは製作活動においてどのように影響していますか?」

イ氏:「自分が瞑想的になれる環境を常につくりたいと思っています。それは陶芸に対してだけではなく、自分の人生においてもです。あと、やはり生き方や心構えとして、そういう環境で様々なものを作っていきたいですね。」